2010年7月31日土曜日

Lots of Sorrows

下北沢屋根裏で行われたDanny Blanco presents " Ride On a Swing"、無事終了しました。
フジロックと引き換えに来ていただいた特異な方(超失礼)、どうもありがとうございました。
今日たまたまblaudropsの演奏を見てくださった方も、ご清聴ありがとうございました。

次回のライブは8/27(金)新宿Nine Spicesにて行われるブッキングイベント"in the future"に出演させていただきます。相当気合い入ってます。是非お見逃し無く!出演時間等はまた後日ブログ・ミクシー等を介してお知らせします。


嫌なニュースばかり目につく(僕はテレビを見ないので、ニュースは全てインターネットを介して読む)。見るたびに心臓の一部を抉りとられるような苦しみを味わう。

中でも幼児虐待のニュースは本当につらい。

この世に生を受けたからには生きる権利がある。しかし権利を主張しようにも、子供には泣くことしかできない。そこで親が子を守り、子に代わってその権利を主張するのだ。少なくともそれが親としての義務であると思う。

言う事を聞かないから折檻した。泣き止まないから浴槽に沈めた。子育てから逃げ出したくなり子供を放置した…

僕には子供はいないので子育ての経験などない。他人の子はかわいく見えるとも言う。しかし、どうしてだ?自分の腹を痛め、身を分け血を分け苦しみの末に産んだ大切な命なのだ。その子供の目を見つめるとき、溢れんばかりの涙を溜めた純朴な目を見つめるとき、自分の間違いに気づかないのだろうか?目の前の空間が割れんばかりの声で自分を呼ぶ声を聞くとき、振り上げたその手を下ろし、我が子を胸にきつく抱きしめ「ごめんね」と許しを乞うことはできないのであろうか?

僕のような青二才が一人前に養育論を論じるほどの知識や器がないことは周知の事実ではあるけれども、本当にこんなニュースを聞くのがつらい。まだまだ聞くだけで苦しくなるようなニュースはたくさんある。これらは今まさに僕の、あなたのすぐ目の前で起こっていることなのだ。問題なのは、それがどういうことなのか、具体性を持って考えてみることなのだ。人は何かにつけて「忙しい」という言葉を使う。結構、しかしその無関心さが、今度は自分が引き起こしてしまうかもしれないのだ。

未来は自分の子供たちがつくる。きっとよりよい社会を目指し、精進してくれることだろう。しかし、親の愛を知らずに育った子供が、信頼のおける大人から与えられた痛みを引きずってしまっている子供が、どうしてよりよい社会を築けるのだろう?

幼少時代両親にはよく怒られたしよく殴られたが、いつだって愛を感じ取れた。ここには、愛するが故とは言いがたい、現状がある。子供がそのまま親になってしまったのであろうか。

子供は音楽や絵のような芸術と似ているのだ。手はかかるが、惜しみない愛情を持って接すること、そうすれば伸びやかに育つ。

ここのところ雑記ばかりで申し訳ないですが、一人でこんなことを考えていると気が狂いそうだったので、ここを吐露する場所に使わせていただきました。まあblaudropsの曲って基本怒りや悲しみからでいた曲が多いし、少なからずつながっているってことで。

えーじ


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